「自然をあじわうやきもの」・・原材料から全てに自らの手をくだし、過程を粗末にせず、思いと、願いと、偶然、奇跡・・。
投入した薪も瞬時に窯に溶けて無くなってしまうような高温に耐えて、本日産まれました。
もう何もいうことはありませんね。感謝感謝。
この体験を通して自然はきっと何かを見つけさせてくれたに違いありません。
そして本当の”味わい”は、このやきものと寄り添う時々に現れてくるでしょう。
「自然・暮らし・アート・炎」の世界一小さなテーマパークをめざし、火中出産の神様より「咲耶姫(さくやひめ)キルンパーク」と名付けました
「自然をあじわうやきもの」・・原材料から全てに自らの手をくだし、過程を粗末にせず、思いと、願いと、偶然、奇跡・・。
投入した薪も瞬時に窯に溶けて無くなってしまうような高温に耐えて、本日産まれました。
もう何もいうことはありませんね。感謝感謝。
この体験を通して自然はきっと何かを見つけさせてくれたに違いありません。
そして本当の”味わい”は、このやきものと寄り添う時々に現れてくるでしょう。
午前6:00/まだ薄暗いなか、24年度小濁窯クラブのメンバーが集まってきた。3日前に振った雪が根雪で残るくらい冷えている。
本日の窯焚きの目的は、今年の3月11日に開催したイベント(新洋軒のロイヤルライスで未来を思う日)の「みらい神社に奉納された御札の焚き上げ」と、小濁窯クラブの「自然を味わうやきもの」の最終目標である窯焚きである。
咲耶姫の祀られる小濁窯で手を合わせ待ちに待った窯焚きが始まった。
午前7:00/黒谷さん、出口さん、宮下さん、綿貫さん、泰子さんは30分交代の窯焚きに入る。泰子さん以外は皆始めての作業で緊張気味。自分たちで割った薪の熱だけでやきものを焚き上げるなんて実感はまだわいていない。
正午/窯内は900度に達し窯全体も温まってきた。2回目の食事をとりながら火の番を続ける。赤松と、小濁のカラマツ、近くの業者から手に入る廃材を利用して順調な昇温。これらの燃料は小濁窯クラブはじめ、関東の大学の研修生、地元の専門学校生、地域のかた等大勢の手によって集められ割られたものである。
午後から少しの雨があったが天候も荒れること無くラッキーな窯焚きだ。
午後2:46/御札の焚き上げ。赤松の枝には「みらいを思う日」で結ばれた108名の参加者、スタッフ関係者の未来への思いが、皆の手で窯に投入される。それぞれが何を願っただろう…。
3月11日に関わったかた、小濁窯クラブの出会い、11月30日という日、参加できなかった島田さんの存在・・。全てがこの日の窯焚きに繋がっていたかのような、そして何かを導いているような言い表せない偶然の連続だった。
新聞で知り訪れた新潟総合テレビの取材。その放映を通じて、また新たな出会いに繋がっていって欲しい。私は「世界が平和に」を祈りながらこれからの出会いに思いを馳せた。
午後5:00/胎内は1200度に達しようとしている頃、皆には疲労も現れてきた。1000度を超えたころからは温度管理が難しくなり、私が主に火の前にいた。朝に着込んでいたツナギとアンダーウエア2枚はもう不要。窯が発する熱と窯鳴り、白く光る胎内の土は誕生の姿を形成しながら、森羅万象と私達が一体になって何かを産もうとしている実感がわいてきた。
午後8:00/最後のピースを取り出して蓋を閉める。最高温度は1240度。この窯では直ぐに1000度位まで温度が下がってしまうが、2箇所に設置したゼーゲルのSK9は完倒、薪の状態が功を奏した。
無事の窯焚きに感謝し最後の願いを込め、「1130みらい窯」の窯焚きを終了した。
24年度小濁窯クラブの皆さん。大変おつかれ様でした。
「自然を味わうやきもの」の、最後の大仕事が終了しました。気の遠くなるような数々の作業を経ての作業でしたが、”自然を味わう”とは贅沢な遊びであったようにも思いませんか?
プログラムを通して様々な出会いや偶然、自分の都合やお金ではどうにもならない自然の大きさを感じ、新たな価値観が生まれたはずです。学び合いもあり、誰一人欠けても同じ結果にならなかった事を思い返せば、偶然この世に生まれて時間や空間を共有できた仲間と、それを思い出深いものにしてくれた自然に感謝せずにはいられません。
このプログラムに参加された皆さんは、「やきものは誰が焼いて何がそうさせるのか?」を、きっとお気づきになったと思います。それは口では上手く言い表せないけどやった人だけが解る宝物ですね。
私は一緒にプログラムをやり遂げてくださった皆さんに感謝します。
あとは、それぞれが今回の思いをどう伝えていくかを考える番です。
10月30日。秋風が冷たく感じる季節です。
本日は、ねおかんぱーにゅ南部にて、先日ロクロ引きした作品の素焼きの窯出し、釉薬調合、鉄絵付け、釉掛けを行いました。
土掘りから始まって、薪割り、土作り、土調合テスト、釉調合テスト、そしてロクロ整形。なにもかも始めてで、何もかも手作り。よくぞここまで来ましたね!(これまでの全ての活動はこちらにまとめています→h24年小濁窯クラブ活動の軌跡)
次回は窯詰め、そしていよいよ薪窯の本窯焚きです!
8月29日。好天続きの妙高市小濁、キルンパークでは今年始めての野焼きが行われました。
8月4日の土器作り体験と、市内小学校のPTC活動で制作された土器の数々、危険な形状のものが沢山。普段に増して緊張感あふれます。
ただでさえ暑いのですが、おきから放射される高熱の熱さは口では伝えられないほど。 薪くべ初体験の宮下さんの引けた腰をご覧ください。これが精一杯なんです〜。
h24小濁窯クラブの皆さんのサポートにより無事終了。もちろん自分たちの作品も無事焼きあがりました。お疲れ様でした。
これだけ見ると怪しいです。
8月22日。恒例となった斐太県民休養地での野焼きです。事前に作っておいた体験作品が焼かれました。
メラメラと燃える炎は、大地の上でくべられた薪から土器を舐めながら立ち上がります。自由に風に任せて、きままに燃え上がっているように見えますが、薪をくべる人、焼かれる土、そしてそれを作った人の思いと対決しているようにも思えます。自然の中で熱と闘い行う野焼きは、縄文土器作家の猪風来氏から教わった方法です。
この野焼きは、薪の種類、状態、窯の状態や天候、風力によって土色から予想できない色が出たり、燃え跡が残りとても不思議で楽しいものです。特に、思いのこもった作品、無心で作った作品は、他の作品には見られない焼き上がりとなり驚く事があります。今回の野焼きもやはり不思議な炎や、面白い焼き上がりと出会う事ができました。
斐太県民休養地は、「古代遺跡」や「鮫ヶ尾城跡」で妙高市でお馴染みの場所。鮫ヶ尾城跡の登山道の傍らでの野焼きです。鮫ヶ尾城は、上杉謙信とも関係の深い「御館の乱」で、絶世の美少年、三郎景虎が自刃して果てた悲劇の地として有名な場所でもあります。
これより写真と共に紹介します。
いつものように炙りが終わり(200℃帯)、土器を窯の中心に置いて熾(おき)を整理しているところ。
こう見えて、この距離に近づくのがやっとなくらい熱いです。
午前9時から始めた野焼きは、この時点で正午。
整理した熾に薪をくべれば直ぐに燃え上がります。窯が焼けているためです。
2つから3つの焔が立ち上がり激しく燃えます。温度はどんどん上がっていき、それと共に薪をくべるほうもギリギリまで近づき慎重に薪を投げ込んでいきます。炎に表情が現れているようです。
かなり大きな炎ですが、温度を下げないようにゆるめずくべていきます。
これはなんでしょうか?私にはぞっとするあるものに見えますが、皆さんにはどう見えますか。
野焼きの炎を撮影すると必ず何者かが現れます。
今回の薪は比較的薄く、沢山の量を燃やしたために沢山の熾が作品にかぶさるようにして焼きあがりました。
この時点でも近寄れないくらい熱く、しばらくそのまま放置します。ここで一部炭化した作品もありました。
これは私(村越洋一)の作品ですが、水の染みのような模様がところどころに、一部年輪のようになって、ボディや口縁に現れています。熾から炎が走った跡だと思われますが、水が入るような壺に現れた跡は過去に使っていた記憶を再現しているようで不思議です。
以前にキルンパークで釉薬の灰焼きのために使ったトタン板の焼け模様が「古い日本地図のようだ」と、hiroさんから教えていただきました。現在小濁窯の壁に打ち付けてあるものです。(下写真)
確かに右は甲信越の地図のようにも見えます。点が3つあれば顔に見えると言いますが、全てが何の作為もない自然現象と言っていいのかな・・。
やきもの、特に自然の薪で焼くやきものはこんな偶然を含んでいて、そのあたりがファインアート(芸術的な意図のもとに制作された作品)と一線を画すところではないかと思ったりします。
やきもの。やればやるほど神秘的で奥が深い世界です。