8月22日。恒例となった斐太県民休養地での野焼きです。事前に作っておいた体験作品が焼かれました。
メラメラと燃える炎は、大地の上でくべられた薪から土器を舐めながら立ち上がります。自由に風に任せて、きままに燃え上がっているように見えますが、薪をくべる人、焼かれる土、そしてそれを作った人の思いと対決しているようにも思えます。自然の中で熱と闘い行う野焼きは、縄文土器作家の猪風来氏から教わった方法です。
この野焼きは、薪の種類、状態、窯の状態や天候、風力によって土色から予想できない色が出たり、燃え跡が残りとても不思議で楽しいものです。特に、思いのこもった作品、無心で作った作品は、他の作品には見られない焼き上がりとなり驚く事があります。今回の野焼きもやはり不思議な炎や、面白い焼き上がりと出会う事ができました。
斐太県民休養地は、「古代遺跡」や「鮫ヶ尾城跡」で妙高市でお馴染みの場所。鮫ヶ尾城跡の登山道の傍らでの野焼きです。鮫ヶ尾城は、上杉謙信とも関係の深い「御館の乱」で、絶世の美少年、三郎景虎が自刃して果てた悲劇の地として有名な場所でもあります。
これより写真と共に紹介します。
いつものように炙りが終わり(200℃帯)、土器を窯の中心に置いて熾(おき)を整理しているところ。
こう見えて、この距離に近づくのがやっとなくらい熱いです。
午前9時から始めた野焼きは、この時点で正午。
整理した熾に薪をくべれば直ぐに燃え上がります。窯が焼けているためです。
2つから3つの焔が立ち上がり激しく燃えます。温度はどんどん上がっていき、それと共に薪をくべるほうもギリギリまで近づき慎重に薪を投げ込んでいきます。炎に表情が現れているようです。
かなり大きな炎ですが、温度を下げないようにゆるめずくべていきます。
これはなんでしょうか?私にはぞっとするあるものに見えますが、皆さんにはどう見えますか。
野焼きの炎を撮影すると必ず何者かが現れます。
今回の薪は比較的薄く、沢山の量を燃やしたために沢山の熾が作品にかぶさるようにして焼きあがりました。
この時点でも近寄れないくらい熱く、しばらくそのまま放置します。ここで一部炭化した作品もありました。
これは私(村越洋一)の作品ですが、水の染みのような模様がところどころに、一部年輪のようになって、ボディや口縁に現れています。熾から炎が走った跡だと思われますが、水が入るような壺に現れた跡は過去に使っていた記憶を再現しているようで不思議です。
以前にキルンパークで釉薬の灰焼きのために使ったトタン板の焼け模様が「古い日本地図のようだ」と、hiroさんから教えていただきました。現在小濁窯の壁に打ち付けてあるものです。(下写真)
確かに右は甲信越の地図のようにも見えます。点が3つあれば顔に見えると言いますが、全てが何の作為もない自然現象と言っていいのかな・・。
やきもの、特に自然の薪で焼くやきものはこんな偶然を含んでいて、そのあたりがファインアート(芸術的な意図のもとに制作された作品)と一線を画すところではないかと思ったりします。
やきもの。やればやるほど神秘的で奥が深い世界です。